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1971年  日清カップヌードル販売

カップラーメンと言えば最初に思い浮かべるのは日清のカップヌードル。

カップヌードルが発売されたのは1971年なのでもう44年がたっています。

その頃は袋に入ったインスタントラーメンや焼きそばは有りましたが、ナベやフライパンで調理をすることが必要でした。

子供は当然出来ないので作ってもらうことになりますので自由に食べられるものではありませんでした。

ところがカップラーメンが発売されてからはお湯を注ぐと簡単にできますので画期的でした。


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お湯さえあればどこでも食べれるのも大きな魅力でした。

カップヌードルは発売まで5年くらいの開発期間があったと聞きます。

一つの商品に5年の開発期間は今なら考えられませんが、当時はフリーズドライの技術も発達していなかったので、試行錯誤の連続だったと思います。

やっと発売しても試して貰わないと認知されませんので当時の東京・銀座の歩行者天国で試食販売を実施しました。

試食販売を何回も行うことによって、多い日には1日2万食を売り尽くすほどの人気になりました。

お湯を注いでから3分間の待ち時間がありますが、これは人が普通に待てる時間が3分という事で決められたと言うことで電話番号の7桁が人間が良く覚えられる桁数というのと似ていますが確かに子供にとっての3分は長く感じました。

大人になると5分のカップ麺も当然待てますが、子供にとってはちょっと無理かも。

そういう努力をして少しずつ認知が広まったカップヌードルですが、それが飛躍的に広まる出来事がありました。

1971年の2月に発生した連合赤軍が軽井沢「あさま山荘」に立てこもり事件です。

一見、カップヌードルとは関係ないように思いますが、あさま山荘事件は連日テレビで中継されて、世間の注目度も高かったため視聴率は80%を越えていたようです。

その中継の中で機動隊の人が休憩の時に食べていたのがカップヌードル。

寒い冬にお湯を注ぐだけで暖かい食べ物が食べられるし、持ち運びも便利で調理もいらないなどカップヌードルの利点をタダで宣伝してもらったようなものです。

それからカップヌードルは精算が追いつかないほどの大ヒット商品になりました。

その後、カップヌードルにはいろいろな種類が発売されましたが、カップヌードルと聞いて思い浮かぶのは最初のカップヌードルです




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