1973年 キャロル ファンキー・モンキー・ベイビー - 札幌市内全域を出張買取 リサイクルショップのアレイズ


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1973年 キャロル ファンキー・モンキー・ベイビー

1970年代 今では考えられませんが日本語でロックは難しいといわれた時代がありました。

ロックはアメリカの音楽だから英語が当たり前で、日本語の歌詞ではロックにならないといった内容だったと思います。

だから、この頃のロックはいかにロックの音楽に日本語の歌詞を乗せていくかということに焦点が置かれていたと思います。

この当時のロックバンドとしてはキャロルやハッピーエンドがありますがアプローチの仕方はまったく違いました。

ハッピーエンドは日本語だけの歌詞で、キャロルは英語みたいな日本語で。

日本語の歌詞の中に英語を入れるのはキャロルが最初だったと思います。

それを考えたのはジョニー大倉だったと記憶しています。

ファンキー・モンキー・ベイビー


もともとキャロルは矢沢永吉がバンドメンバーの張り紙をして集まった人たちです。

メンバーは矢沢永吉の他にジョニー大倉、内藤利勝で1972年に結成。後でドラムのユウ岡崎が参加して4名になります。

デビューアルバムは1973年に発売されたルイジアナ。

キャロルは最初、初期のビートルズに似ていると言われていましたが、確かにミッキーカーチスがプロデュースしたルイジアナはそんな感じがします。

しかし、1973年 キャロルによるセカンドアルバム ファンキー・モンキー・ベイビーでは矢沢永吉が作り出すメロディーにジョニー大倉の英語のような日本語の歌詞など日本のロックに影響を及ぼした和製ロックが確立されています。

キャロルは活動期間がわずか2年間と張り紙で集まったメンバーのためか、それともジョニー大倉が失踪したせいか活動期間は短いのですが、日本のロック史上記念すべきバンドになると思います。

ラストコンサートの時、1975年の4月13日、雨の日比谷野外音楽堂でのライブ

アンコール終了後、演出用の爆竹の火がセットに燃え移りステージが火事になりました。

結果的にはDVDのタイトル通り、まさに燃えつきるという有名な伝説を生みました。

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